「ジキル&ハイド」感想

やっと見てきました。フランク・ワイルドホーンの代表作とも言えるめっちゃ有名な作品。日本でも繰り返し再演されていて、「時は来た」など有名曲も多いですが今まで未見だったのですよね。これも今までは有名作見てないコンプレックスの一つだったんですが、今回一個クリアできました(しかしまたまだ完全制覇は遠い

まず一言。とても面白かった!エンターテイメントの正道を行く作品。原作にないダブルヒロインが出てくるし、格調高いラブロマンスに仕上がってるのかな?と思いきや、怪奇ものの色合いが強いのは原作と同じ。奇異でキッチュでいかがわしいものが見たいという人間の俗っぽい欲望が刺激される、そんな印象の話でした。そしてすごく分かりやすくてすんなり頭に入ってくる。あえてキワモノ系、B級を狙ってる?そんな批判を恐れず真っ向から「観客を楽しませる」ことに全力を注いでるところに誠意を感じました。そういう意味で正に教科書的なエンタメ作品だと思います。主人公のジキル博士は「ボ、ボクの開発した薬はこの世から悪を消すことができるのだ!」とか理想主義すぎて冒頭から大きな破滅フラグを立てまくり。余りに言ってることが荒唐無稽で「そら認められる訳ないやろ」と序盤全く感情移入できなかったけど、2幕からの坂道を転げ落ちるような破滅展開に「こうなるための布石だったのか!」と膝を打ちました。上げてから一気に突き落とすのは基本中の基本ですよね!彼を嘲笑する聖職者や貴族は言ってることは間違ってないのに時代劇ばりの悪役ムーブで復讐されるのは残当としか言いようない、というか爽快感あるざまぁを提供するためのこってりした悪役ムーブとすら言える。友人アターソンは善良で平凡な常識人だけど、イカれた主人公のそばに常識人の友人を置くのはフィクションのお約束。善と悪の二項対立というテーマに光と影のヒロイン置くのも分かりやすい。エマは絵に描いたような天使。一方のルーシーは不幸が服を着たような悲惨な境遇だけど、最期も「私幸せになる!」とワイルドホーンお約束の絶唱ソングという名の盛大な死亡フラグ立ててかーらーのー暗転ピカーゴロゴロの展開なんか完璧すぎてやりすぎ感すらある。エマの父であり上司のダンヴァースも双方の立場からジキルを心配しててすごくいい人。彼がいい人であるからこそジキルの「公私共に恵まれていたのに」という悲劇性を際立たせている。執事のプールも記号的な執事だし、とにかく分かりやすい!ラストシーンも今際の際にエマの名前を3回呼ぶのだけど、最後の一回でやっとハイドからジキルに戻れて事きれる。だから確かにバッドエンドなんだけど救いが残されていて、観客はカタルシスが得られるようになっている。そんなところまで完璧。パズルのピースにみんな収まって、それぞれのキャラが与えられた役割を真っ当し、フラグをきっちり立て、くまなく回収される。ドミノが綺麗に倒されていくのを見るような爽快感をこの作品に感じました。

また、私がなんちゃって理系ゆえどうしても目に付くのですが、研究室のセットや演出も「文系が考えた理系」感が滲み出ててすごくよかった。禁断の薬が赤い蛍光色なのは「演出上分かりやすくしたんだろう」で許せるけど、研究室にあるフラスコや試験管にも謎のカラフル色水があったり、「時が来た」のシーンでは本編に全く関係のない風車をレバー押して回すところとか訳わからなさすぎて最高でしたw あれ何だったんだろう、部屋の換気扇かなんかかな?化学反応で有毒ガスが出ることあるし。あと、ジキル博士は薬を取り出すのに駒込ピペットを使ってたけど、当時あの形のピペットは存在しなかったらしい。つーかそもそも、自分自身が被験者になったら客観的評価なんてできないわけで。そこを否定したら物語が始まらないから野暮なツッコミなのは百も承知なんですが、帰りの電車の中でも思い出し笑いするくらいにはツボに入ってしまいましたw

ここまで読んで「バカにしてるんじゃないの?」と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、そうじゃないんです。「分かりやすい作品」というのは常にバカにされる宿命を持っている。でも「じゃお前がテンプレ通りの作品を作ってみろ」と言われたら殆どの人は無理ですよ。ジキハイは「分かってる人が敢えて猿でも分かる作り方をしてる」作品だと思います。そして、猿でも分かる作品って、実はすごく難しいんです。

私事ですが、最近暇に任せてなろう小説書いてみたんです。殆ど読者が付かないいわゆる「底辺作家」というやつなんですがそれはさておき、なろう小説もよく人からバカにされるジャンルでして、その理由はお約束てんこ盛りのテンプレ作品しか読まれないから。そもそもタダで読めるweb小説に頭使いたくないから簡単に理解される話しか受けない。じゃあ万人受けするテンプレ作品を書こうとしたらこれが難しい。何がウケるか分かってるつもりでも、お約束の展開を無理なく織り込み、分かりやすい言葉遣いを心がけて、タイトルやあらすじで足を止めてもらう工夫をする。一見バカでも書けそうに見えても、実は熟考に熟考を重ねて綿密な計算がされているのだと、実際にやってみると分かるのです。私自身そんな体験をしてるから分かりやすい作品を下に見るなんてことはできない。むしろ尊敬の対象です。

ジキハイの全編に渡るキッチュさも必ず計算の上でされてると思います。往年のホラー映画や悲劇のオマージュ、面白さと分かりやすさを極限まで追求した計算高さはハリウッド映画のヒットの法則や時代劇のお約束を彷彿とさせます。そしてその計算がピタッとハマった時の爽快感が作品を見た時のカタルシスに繋がるのかなと。ワイルドホーンがこの後手がけたのが「スカーレット・ピンパーネル」だけど、あれもジキハイの成功体験を元にヒットの法則を当てはめて作った作品だと思う。でも全体の完成度はジキハイには敵わないんだよな。曲だけ見ればスカピンの方が粒揃いなんだけど。ミュージカルは曲が命とは言えなかなか難しい。分かっていても必ずしも命中するとは限らない。

私が見たのは柿澤勇人ジキルなんですが、雨に打たれる捨てられた子犬を演じさせたら日本一だな!と思った。前に彼を見たのは三谷幸喜のストプレだったけどその時の起用理由もそんな感じだったと思う。話変わるけど新納慎也さんもちょっと似たタイプだと思うんですよね。素の部分は裏表ない(むしろ面白い)けど板の上では影や悲哀を感じさせる役が得意なところ。元々柿澤さんは「血反吐を吐きながら地べたを這いずり回る」役が多いと言われてますし、純粋すぎるゆえに転落するジキルにぴったりでした。ジキルとハイドの早変わりも目が離せなかったな。もう一人のお目当てはルーシーの真彩希帆さん。退団してからは初めてです。エマじゃなかったんだ?と思ったけど、ルーシーもめちゃよかった。やっぱり好き、次回作のファントムも行きたくなってしまった。あとお久しぶりの栗原秀雄さんもよかった、バリトンが心地よかった。全体的にキャストがまとまっていて安心して見れました。悪役ズも芸達者ばかりだったから、皆自分の役割を心得てきっちり演じきっていたので、ともすれば安っぽくなりがちな演出がそうならなかったんだと思う。

ジキハイって善と悪の二面性を描く作品でありながら、個人の露悪的な欲望を呼び覚ます効果もあると個人的には思っているのですが、現代は舞台の分野もポリがコレコレで表現が窮屈だなあ(その癖クレームを付けられそうな分野しかアンテナ張ってない)と思うことが増えてます。そんな中ここはいつまでも守られて欲しいなあなんてことを考えてしまいました。

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