「ホームズ物と聞いたら何でも飛びつく訳ではないんですが、評判を聞いてから行きたくなって観てきました。これは周りの意見を信じてよかったパターン!三谷幸喜さんの脚本・演出、舞台転換もなくベーカー街221Bの部屋の中だけで7人だけで繰り広げられる舞台。前にTVドラマでアガサ・クリスティの「アクロイド殺し」を元にした同じ三谷さん脚本の「黒井戸殺し」を見た時も原作へのリスペクトが感じられたのですが、今回もホームズ愛にあふれてました。ホームズ好きでも納得の作品、むしろシャーロッキアンにこそ見てもらいたい!もちろん元ネタ知らなくても十分楽しめるようにできてるのですが、知ってると何倍も面白いよ!というやつです。
これはホームズシリーズ第1作「緋色の研究」の前日譚という設定です。つまりホームズとワトソンが知り合ってから最初の事件に出会う前のエピソード。原作初期のホームズはとにかくエキセントリックさが際立っているんですよね。研究のためとはいえ死体に鞭打ってましたし。このお芝居はまだ若くて青くてナイーブさが残っている未成熟な面を残したシャーロック・ホームズが登場します。BBC「シャーロック」に似た所もありますが、あれちょっと露悪的な所あるでしょ。ジョンやハドソン夫人含め出て来る人物誰一人として友達になりたくないもんw 今回の三谷さんの解釈の方がホームズを取り巻く人間の視線が温かくて安心できる世界観というか、繰り広げられるドラマは実はなかなかシビアなんですが。
ベーカー街221Bで同居を始めたばかりのホームズとワトソンのところにバイオレットという若い女性が事件の依頼にやって来ます。このバイオレットという名前、ホームズシリーズで4回登場するんだって。2つは分かったけど(「ぶなの木屋敷」と「美しき自転車乗り」)残りは幕間に調べた(「高名な依頼人」と「ブルース・パーティントン設計書」)。このバイオレット嬢が「踊る靴紐!」と叫びながら突然部屋に飛び込んできます。いきなり「踊る人形」と「まだらの紐」のコンボですw 事情を聞くと、ある家に家庭教師として雇われることになったが奇妙な条件を提示され、目隠しをしたまま馬車に乗せられ屋敷に向かう、帰りも同じく目隠しされて元の場所に戻ったら変な男に付けられたという話。はい、この中に3つの話が隠されてます。「ぶなの木屋敷」「ギリシャ語通訳」「美しき自転車乗り」ですね。ここテストに出るよ(出ません)!
とまあ原作を知ってるとニマニマする仕掛けが施されています。因みに舞台セットもかなり作り込んであって「分かってる」感じです。でも原作知らなくても十分に楽しめると言った通り、主題は別にあります。ホームズが調査のために部屋を出て行くと何と衣装タンスの中から(!)ホームズの兄マイクロフトが現れるのです!ここで登場人物を整理しましょう。シャーロック・ホームズ、同居を始めたばかりのワトソン、原作よりもワトソンが年上なんですが年齢差が新ロシア版ぽくて萌える、20年も医学部に留年してておじさんになったというのがここでの真相らしいですがw 軍医というのも嘘だろ!?って言いたくなるくらいトボけたワトソンです。それに依頼人のバイオレット、兄のマイクロフトここまでは前述通り。あと刑事のレストレード、このお芝居の中では古畑任三郎における今泉ポジで、無能なのは変わりないけどw素直で正直者で邪険に扱われていない今泉ですw おなじみハドソン夫人、従来のイメージよりも若くて可愛らしい癒し系のドジっ子です。更にワトソンの夫人まで出てきます。ワトソンは「4つの署名」のあとメアリー・モースタンと結婚したことになってますが、ここでは前妻がいたという設定になってます。当時としては珍しい女医で頭の切れる人です。
ホームズのいない部屋に突然現れたマイクロフト、しかしワトソン夫人とレストレードを除いて皆彼の事を知っている様子。というのも全てマイクロフトのお膳立てなのだから。優れた頭脳を持て余し人と交わらず孤独に生きる弟を放っておけず、気付かれないように同居人としてお目付役のワトソンを選び、女優のバイオレットを使って事件をでっち上げ手頃な謎を与えてやっているという訳です。要は全て兄の手の内ということ(ただし「踊る靴紐」だけはバイオレットのアドリブだそうw 女優の血が騒いだらしいw)。それでもワトソンはホームズと暮らすようになって情が移ったのか彼の本質を理解したのか、「彼を自由にしてやってくれ」と頼みます。マイクロフトによると「自分の力を過信してヤバい案件に首を突っ込まないように監視する必要がある。このままじゃ奴は破滅する」とのこと。あーこれ本人は愛情と思ってるけど周りから見たら束縛だよってパターンね。どっかで見たことあるなと思ったらBBC「シャーロック」じゃないですか!ホームズ兄弟についてはすっかりこの解釈おなじみになったけどBBC版が初出だと思うんですよね。だって原作じゃマイクロフト2回しか登場してないし、「実は兄貴いるんだよね~ウチよりも優秀なんだけどとにかく出不精なの」くらいの描写しかありませんもの。そんなこと言ったらホームズシリーズで重要キャラのアイリーン・アドラーやモリアーティだって原作では1回こっきりの登場ですからね。1回だけでもその人の特徴を的確に捉えられるコナン・ドイルの優れた描写力ってことなんでしょうか。
やがてホームズが戻って来ます。どうやら何かを察したよう。とうとう兄の差し金だった事実にたどり着きますが、マイクロフトは悪びれるどころか自分が弟よりも優れていると述べ、「お前は私のスペアなんだからおとなしくしてろ」とホームズの心に楔を打ち込みます。ここまでが1幕。ホームズまだ未熟だから兄の圧力を跳ね除けるだけの力がないんですね。多くの事件を解決させて名を挙げるのはまだ先の話なんで自分に対する自信がないということなんでしょう。
2幕はなぜかワトソン夫婦の謎のデュエットで始まります。笑いながら見てたけど全部観終わった後だとまた味わいが異なる歌でした。どうでもいいですが歌うまの柿澤さんとはいださんに歌わせず、歌が苦手と表明している人ばかりに歌わせるのなかなかひどいですねw さて、2幕も同じ部屋で群像劇が展開され新たな謎が生まれるのですが、殺人事件のような大仰なものではなくて「スコーン紛失事件」と「トランプの札を当てる」というもの。いやいや実際これがよくできてるんですよ。ロジックの明快さや謎解きの楽しさがよく分かる。それでいて犯人を言い当てるマニア向けの推理劇とは違ってきちんと人間ドラマとしても成立している。万人受けするエンターテイメントになってるのがすごいと思いました。何シーズンも続いた連続ドラマでずっと脚本書いて来た人だからできることなんでしょう。「スコーン紛失事件」は他愛もないと言えばそうなのですが、ホームズ物のパスティーシュみたいな感じでした。ホームズ作品って超有名作品だけあってパロディも多いのですよね。そしてその次はホームズ兄弟がカードゲームで勝負をします。ランタンというポーカーの一種(ポーカーと違うのは相手の札は見えるが自分の持ち札は見えない)で兄が勝てば弟は兄の管理下に入る、弟が勝てば自由を認められるという賭けをするのです。ホームズは52枚の札の中から自分の札が何か当てようとします。そんな手品みたいなと思われそうですが、他のプレイヤーに質問してその反応を見ながらロジカルに分析して該当する札を選んでいくのです。その過程がなかなかスリリングで目が離せません。単にトランプの札を考えるだけでなくプレイヤーの性格まで露わになるのが面白いけど怖い。それが後の伏線へと繋がるから観る方も気が抜けません。兄弟の勝負の行方は?という所までネタバレするのも野暮なので最後まで書きませんが、一つだけ言えるのはこのホームズ皆に愛されてる!母性本能をくすぐると言うか、今の言葉だと「バブみ」とでも言うのか、とにかく放っておけない感じなんです。ワトソンはもちろん、レストレードは心酔しきってるし、ハドソン夫人は温かく見守ってるし、バイオレットは自分自身も代役専門の端役女優だから共感を寄せるし、初対面のハドソン夫人まで味方になっている。スペアなんて言葉を使った時は「何を~!?」と思ってしまいましたがマイクロフトもまた彼なりのやり方で弟を気遣っているのが分かります。乗り越えるべき壁として存在し真っ向から勝負を受けて立つ厳しさとシャーロックが旅立つのを見届ける優しさ。ツンツンデレって感じで二人の関係性に萌えました。
でもでも!関係性と言えばやはりホームズとワトソンなんですよね。ホームズが一つの山を越えてめでたしめでたしかと思いきや続きがあるのです。最後の謎です。多くは語りませんが「ホームズとワトソンってやっぱりいいなあ」となること請け合いです。今まで与えられる側だったホームズが与える側に回る。それはやはり謎解きという形かつ淡々とした表現なのですが、彼がただの推理マシーンではなく熱い心を持っているのが垣間見える瞬間でした。この場面の佐藤二朗さんを見て「黒井戸殺し」の大泉洋さんを思い出しました。何か盛大なネタバレを言っている気がするがまあいいか(すっとぼけ)。
とにかく残り公演期間短いですが多くの人に観てもらいたいと自信を持ってお勧めします。WOWOW辺りでやってくれないかなあ(チラッチラッ)。