「ブリジャートン家」感想

TwitterTLで評判良かった海外ドラマ2つ「ブリジャートン家」と「LUPIN」、どちらもNetflixオリジナル作品。アマプラすらろくに消化できてないので迷ったのですが期間限定と自分に言い聞かせ入りました。でも最初に結論を言っておく、ごめんなさい!not for meでした!せっかく時間かけて全部見たので一応備忘録代わりに感想書きます。今回は「ブリジャートン家」について。

一言で感想を言うと「長い!タルい!間延びしすぎ」。はっきり言って脚本がよくないと思う。ロマンス小説って展開が早くてさくっと読めるのが売りで、読むの遅い私でも文庫本13時間ちょいあれば読破できるんですよ。それが11時間10分あって全8話あるからメインストーリーの進行がダラダラしてる上にサイドストーリーであちこち脱線するからまとまりが悪い。メインストーリーに絞れば半分の尺でテンポよくできたんじゃないかな。そうすれば他の兄弟の話もたくさんできるし。ブリジャートンシリーズは、子爵家の8人兄弟の恋愛模様が1人ずつ1冊にまとめられていて全8巻(外伝含めると9巻)らしい。シーズン1が成功したから既にシーズン2の製作が発表されているけど、人気がなくなれば続きものでも非情に打ち切る海外ドラマ界において全作品映像化できるのだろうか。撮影期間が長くなれば出演者が変わることもあるだろうし。

今回のシーズン1は長女のダフネと公爵サイモンについて。この2人がお互いの利害から偽装カップルを演じるんですけど、企みを持ちかけるのがやっと1話の終わり。それまでたっぷり1時間以上もあったのに2人の人となりがイマイチ分からない。サイモンの方は何やら悩みがあるらしいけどずっと仏頂面だし、ダフネは賢い設定らしいけど1話の時点では結婚を焦ってゴシップ記事に一喜一憂しているそこら辺の娘と変わらないように見える。恋人ごっこから本気になるというのは、分かりやすいキャッキャウフフを周りに見せつけるうちに当人同士が本気になっていくということなんだろうけど、最初から2人がムフフな感じで他人を寄せ付けない雰囲気を漂わせているので関係性の変化に抑揚がないんだよね。ヒストリカルと言えば触れられない分心情描写に力を入れるのがキモなのに、その辺が呆気なくて満足できなかった。結婚を決めるとこなんか「私にキスしたんだから責任取って結婚しなさい!」「アッハイ」だし、終盤夫婦の危機を迎えた時の話し合いもあっさり終わってしまった。その割にダフネに◯◯◯ーのやり方を指南したり「いい筋肉ゴクリ」するシーンは欠かさない。なかよしシーン(婉曲表現)もこってりと饒舌です。なかよし時間の方が話し合いより長かったんじゃないの?悪いけどなかよしシーンは早送りしてしまった。えっちいのが好きじゃないとかそんなんじゃなくて(別にそこまで潔癖な人間ではないw)単に話がダレるから。顔のアップばかりでつまらんし。

それでも全話見たんだけど、主役カップル以外も突っ込み所多くて度々脳がバグを起こしてしまった。自分の倫理道徳観と作品世界で是とされるそれが合致しなくてしんどかったです。長男のアンソニーは子爵家を背負って家長の重圧と戦ってる設定なんだけど、1話の冒頭でオペラ歌手と尻丸出しで野外でなかよしという間抜けな姿を晒してて、初っ端から混乱した。それなのに本人は気難しい苦悩する人物として描かれ、過度の責任感から「俺の許可がないと結婚はダメだ」と妹に干渉する癖に自分は火遊びでなく本気で愛しちゃって「家督は弟に譲る」とか無責任すぎて訳が分からないよ。次女のエロイーズは、女は男に依存しなければ生きられないことに疑問を持ち自分の力で生きる女性を尊敬すると、そこまでは分かるのですが、ロールモデルが「レディ・ホイッスルダウン」という下世話な貴族のゴシップ記事を書く匿名の新聞記者。自分の家族も記事で傷ついたのに、働く女性ならば無条件で尊敬できてしまうのか。さらに分からないのがマリーナという少女。彼女は近所に住むフェザリントン家に居候しているが実は妊娠しており、従軍中の恋人に手紙を送っても返信が来ず不安な毎日を送っている。おまけにフェザリントン夫人から意にそぐわぬ縁談を強いられており、ここまではすごく同情できる。しかし追い詰められた彼女はとんでもないことをしでかし、お前が一番の悪女だったのかよーという展開に。それなのにすったもんだの末に自分の身を守るためだったから仕方ないよね、無知は罪ではないし彼女を追い込んだ世間が悪いよね、最後の最後に次善的な解決に至ってとりあえずよかったねみたいな収まり方をし、確かにそれは一理あるけど、彼女のしたことはなかったこととしていいの?と脳がゾワゾワした。フェザリントン夫人の世話になりながら最初からツンとした態度で、それを西洋の世界では「プライドを保ち物怖じしないはっきりした性格」とか言うんだろうなーと思った。自己主張しなければないものと見做される世界も結構辛そうだ。結局唯一感情移入できたのがフェザリントン家の三女ペネロペだけど、最後の最後に爆弾が待っておりお前かーな結末。

今回「黒人が貴族なのはおかしい」という批判が少なからずありましたがそれについては作中にちゃんとエクスキューズがあります。この世界は王妃が黒人で(彼女自身は実在した人物のよう)、白人の王と黒人の王妃が結婚したことで人種間の融和が起こり、黒人の貴族も普通に存在するパラレルワールドとのこと。つまりヒストリカルのパラレルワールド、本質的にはナーロッパと同じなのです。舞踏会のダンスで流れる曲が現代のポップスであることからも「これはヒストリカルに押し込んだ現代劇なんだよ」と製作陣が視聴者にアピールしてるのは分かる。でもさ、その割にキスしたら責任取って結婚とか貞操観念だけは当時のままだし、黒人の貴族がいるなら国王が結婚する前から黒人の社会的地位が高くないとおかしいじゃん?とか割を食って相対的に地位が落ちた人はどうなるの?など色々疑問が出てきて、また脳がバグってしまう。どこまでがファンタジーでどこからが現実に即しているのか?まだナーロッパの方が馴染みがあるぶん受け入れやすい。結局ヒストリカルに黒人キャストを出すための方便なんだよな。最近はヒストリカルで主要キャストに黒人を入れるのが「多様性がある」と歓迎されてますが、ブリジャートンにおいてその他の有色人種はモブとしてしか出てきません。白人と黒人しかいない多様性とは何ぞや。いっそのこと支配層は有色人種で被支配層を白人にするとかした方が皮肉効いてるじゃんとすら思ってしまう。でも私は役柄と人種は合わせて欲しい派です。衣装やセットは細部まで作り込まれているのに人種だけミックスする必然性が分からない。黒人にも活躍の場をと言うのなら彼ら向けの本を作ればいいのに、なぜ白人文化の中に彼らを押し込めるのか。そのせいで彼らが本来持っている魅力が封じ込められているように感じる。特に今回のサイモンは全然公爵に見えなかった。ダフネとのケミストリーも自分は感じられなかったし、はっきり言ってミスキャストだったと思う。中の人は何にも悪くありません。彼は筋骨隆々でワイルドかつ匂い立つようなセクシーさに満ちていて、陽光がギラギラ降り注ぐ下でシャツの胸元を大きくはだけさせ、肉感的なゴージャス美女と情熱的に愛し合うのが似つかわしい。そのせいかドラマの中でも彼だけ色味のある衣装を着崩しており、彼の個性に合ったコーディネートになっています。ボクシングのシーンも彼の魅力を紹介するためにはうってつけでしょう。主役だけ着ているものが少し変わってるというのはありふれた演出ですが、親に迫害されたトラウマを抱え自分に呪いをかけ刹那の放蕩に逃げて生きてきた堅苦しい公爵が、そんな背景を持つ人物がする格好かと言うとうーん公爵より西部劇とか南米の貴族って感じだよなあ。

でも、こんなこと言うと米英ではレイシスト扱いされてしまいます。差別主義者です。あちらで一旦レイシストのレッテルを貼られると社会的に抹殺されてしまいます。何の誇張もなく本当にそうなるから怖いんです。まだ「ブリジャートン」ではこれはパラレルワールドだから(震え声)と言い訳してますが、他のヒストリカル作品では何の断りもなく多様性の名の下に白人のキャラを黒人がやる例は増えています。その逆はありません。ただ私は思うんです、多様性って何だろうね。先進的かつ野心的な作品からゴリゴリの保守的作品までよりどりみどりなのが本当の多様性なのでは、今やってるのは均質化と呼ぶ方が相応しいのではと私は考えるけど、「ヒストリカルでは白人は白人の役者にやって欲しい」という考えを価値観のアップデートができていないと下に見る傾向はしばらく続きそうです(日本でも例外ではなく、Twitterでブリジャートンの感想検索したら同様のがあってモヤモヤしてしまった)。ただ価値観というものは常に変わるので、10年後20年後も同じことが言われているかと言えば、怪しいんじゃないかな。どこかで揺り戻しが来るかもしれない。今回いつになく突っ込んだ内容まで(それこそフォロワーが減るレベルまで)言及したのも現況に危機感を抱いているのと少しでも変わって欲しい気持ちがあるからです。ミュージカルの世界でもこれはセンシティブな問題になりつつあるからいつまでも知らんぷりはできないんです本当は楽しいことだけ考えたいのだけど、ふう。

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