1996年英国ドラマ「エマ」

2016年末にイマジカBSで「エマ」「ノーサンガー・アベイ」「マンスフィールド・パーク」と言う私得なオースティン3本立てをやっていたのですかさず録画した。最初に見たのが「エマ」。他のオースティン作品と同様、何度か映像化されているがこれは1996年の2時間ドラマバージョンらしい。

エマ・ウッドハウスは美人で頭も良くお金持ちという三拍子揃った少女で、やけに心気的な父と二人暮らし。自分の才覚に自信のある彼女は人の鑑識眼があると自負しており、恋のキューピッドになることが好き。義兄の弟であるナイトリーはしばしば行き過ぎるエマに注意するがどこ吹く風。そんな中エマは私生児のハリエットと仲良くなる。ハリエットは農夫のマーティーンと相思相愛になるが、エマは「貴方にはもっとふさわしい人がいる」とハリエットを諭し、自分で勝手にお似合いだと決めた牧師のエルトンを勧めた。そんなにエマにナイトリーは誰のためにもならないとたしなめるが…

話はオースティン物によくある「ヒロインの勘違い→自身の誤りに気が付き反省する」のパターンなのでエマもご多分に漏れず後にしっぺ返しを食らうのだが、それにしても他のヒロインと比べると少々「うかつ」と言うかお節介や勝手な思い込みが多く、感情移入できる部分が少し削がれると言うか…作者自身も「私しか好きにならないであろう主人公」と述べているほど。いえいえ、私はそう言う短所も含めてかわいいと思えるけど(個人的には、エマがあれだけ突っ張っていたのは唯一の家族である父親がかなりの神経症で頼りない存在で、自分がしっかりせねばという気負いがあったせいもあるかと。そう考えるとエマが健気に見えてくる)、演じる側にとっては難しい役だと思う。それも手伝ってか、このドラマはいささか消化不良な作品に思えてしまった。

時間の制約があるから内容をなぞるのに精一杯になるのは分かる。でもロマンス物でキャラの心情を描かない訳にいかないでしょう。このドラマはいつエマとナイトリーが惹かれ合ったのかが全く分からない。終盤になってエマが「私ナイトリー氏のことがずっと好きだったんだわ」と悔やむセリフが出てくるのだが、思わず「えっ?いつ?どこで?」と言いそうになってしまった。

そう思うもう一つの理由は、ナイトリーが常にぷんぷん怒っているからと言うのもある。原作のナイトリーはエマをしょっちゅうたしなめるものの、基本的には優しい眼差しを向けており彼女を気にかけるが故に注意してしまうという感じだったが、このドラマのナイトリーからはそれが伝わらないのだ。これは脚本の問題であって役者に罪はないんだろうけれど、勿体ないなあと言うか。そんなアラが目立つからか、どうしてもナイトリーの前額部が気になってしまう…こんな事は言いたくないんじゃがこれからあのデコはどうなってしまうんだろう(主に頭髪的な意味で)ああこれもナイトリーが怒ってばっかりで愛情の欠片も見えないから悪いんじゃ。

あとこれはドラマには全く関係なくてむしろ原作の感想なんだけど、エマとナイトリーの関係ってどんなもんかなーと。昔は私も「自分を導いてくれる年上の恋人」というシチュエーションに萌えていたけど、今になって思うとそれじゃただの保護者になってしまうよなーと。恋人というのは本来対等な関係なはずのに、常に諭される間柄というのは現実的にはうまくいくのかいなと、どうでもいい事を考えるのであった。まあこれはフィクションなのでエマとナイトリーは末長く幸せに暮らしたと思いたいけどね。

蛇足だけど、このドラマにはかの1995年BBC版「高慢と偏見」でミセス・ハースト(ミスター・ビングリーの既婚者の姉)を演じた女優さんが出演している!しかも同じような嫌味なキャラなので「おいおいまたかよ」と突っ込みを入れてしまった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA