ミュージカル「メリーポピンズ」観てきました。ツイッターにも書いたけどとにかく豪華で贅沢で楽しいとわくわくをぎゅうぎゅう詰め込んだ作品。観終わった後無性においしい物が食べたくなったので私としては大満足だったのでしょう(パジャマゲームの時もそうだったな)。これを機にディズニー映画の「メリーポピンズ」を見直し、この映画の制作秘話を描いた「ウォルト・ディズニーの約束」(原題Saving Mr. Banks)という映画も見たので3者交えて色々感想を語ろうと思います。
まず舞台について。何も知らないとディズニー映画の焼き直しのように思えます。確かに「チムチムチェリー」や「スーパーカリフラ…(根気がなくてすまん)」など有名なナンバーを使い、問題を抱えるバンクス一家にやって来た不思議なナニーが子供達だけでなく家族全体を変えてまた旅立っていくという基本のストーリーは同じ。でも実際見ると結構別物というか、単なる映画の舞台化でなく新しいメリポピ像を作り出したんだなというのが分かる。だからこそ世界中でヒットしたのでしょう。
映画と比べてぱっと見で分かる違いはメリーポピンズの性格。映画ではジュリー・アンドリュースが演じたというのもあるだろうけどちょっと不思議だけど優しくて愛らしいメリーでした。しかしミュージカル版は「ツンツンしてクールで子供相手にも媚びることなく時には突き放す」とかなりとんがっています。子供達も舞台版では口の立つ小憎らしいクソガキw この設定は原作寄りなのかな?原作者に舞台化の交渉をした時「ディズニー映画をベースにしつつも原作の要素をかなり入れる」と約束したとパンフに書いてあったので。
また「今の時代だからこそできる演出」というのが目立ってました。映画版もアニメと実写の融合など当時では最先端だった映像技術を使っていたけど、舞台版では客席を飛んだり壁や天井を歩いたり、もう少し古い時代に舞台化していたらもっと違うものになっていたかも。もちろん横いっぱいに広がってのラインダンスや大人数でのタップダンスもあり生で見ると迫力がすごかったです。これなら子供が観ても楽しめるだろうな。日本で実現させるのは色々大変だっただろうと思う。個人的には細かいところだけど、舞台転換でバンクス家の家が登場するところがドールハウスが開かれるような感じでとても気に入りました。
キャストも皆上手でメリー役の濱田さんはもちろん、バート役の大貫さんとの相性もぴったりでした。何かいいよね〜メリーとバートの恋人ではないけど仲良しなよく分からない関係w 子役の子達も頑張っていてよくここまでできるなあと感心してしまった。島田歌穂さんは流石の存在感で「鳩に2ペンスを」は圧巻、もっと見ていたかった。意外な収穫(ごめんなさい!)がもう中学生さんのロバートソン・アイで、ミュージカル初挑戦とは思えない位に馴染んでいた。海外作品によく出てくるコメディリリーフの役割をよく果たしていた。
ところでメリーポピンズって子供の頃見たイメージでは不思議なナニーが子供達を変える話だと思っていたけど、改めて見ると父親の存在がかなり大きいですね。銀行員の父親は自分に課せられた大人の役割、職業人の役割を全うする余りに心の余裕を失っている。それが最後には自分を取り戻して家庭も修復される訳ですが、面白いことにメリーの魔法が直接作用する訳ではないんですね。子供達もそうだけど(メリーの魔法に触れただけではクソガキは直らない w)、何が正しいかは最終的に自分自身で選び取らなければならない。そのオブザーバーとしてメリーポピンズがいる感じなんです。
それにしても児童向け作品なのになぜ父親にフォーカスが当たるのか。そのヒントは映画化されるまでの原作者とウォルト・ディズニーを始めとするスタッフとのやり取りを描いた「ウォルト・ディズニーの約束」という作品にある気がします。もちろん映画向けに小綺麗にまとめた感があるので全てこの通りではないと思いますがとてもいい作品です。ちょっと長くなるけど語らせて下さい。ネタバレ全開なので注意してね。
原作者P.L.トラバースはディズニー社からメリーポピンズの映画化を20年間も打診されているがずっと断り続けてきた。自身が作り出したキャラクターに並々ならぬ思い入れがあり、現実の厳しさを教えるメリーポピンズがフワフワしたミュージカル映画になぞされてはかなわんというのだ。しかし経済的な事情のため彼女も妥協せざるを得なかった。ただし映画化の条件として突き付けた要求は理不尽なものばかり。スタッフはお手上げ状態でウォルト・ディズニー自ら話し合うが、彼女の頑固な態度はなかなか覆らない。その一方で彼女の脳裏には幼少期時代の父との思い出が想起されるのであった。
感動的な作品なんだけど、トラバースの要求が理不尽なものばかりで笑ってしまう。「バンクス夫人のファーストネームが気に入らない」「バンクス氏は髭を生やしていない(本の挿絵にも髭あったのに)」「(バート役の)デイック・ヴァン・ダイクなんて駄目よ!(今だから笑えるエピソードだけどw)」極め付けが「映画に赤を使うな」これ本当にあったらしいからすごい。余りの偏屈ぶりに見ている方もびっくりである。
交渉が決裂しそうになった時、ウォルト・ディズニーはある事に気付く。それは彼女が父親の名前をペンネームに使っている事。銀行員だった彼女の父親は優しいながらも現実に立ち向かう強さを持ち合わせておらず、徐々にアルコールに溺れ依存症で体を壊し早くに亡くなったのだった。彼女はどうすることもできなかった自分をずっと責め続けて生きてきた。それに対してディズニーは自分も子供の頃父親にベルトの鞭で脅されながら吹雪の中新聞配達に出かけていた話をし、「もう過去に縛られるのはやめよう」と促す。メリーポピンズが救いに来たのは子供達ではなく父親。そして父を助けられなかったトラバース自身なのだった。
ラスト、完成したメリーポピンズの試写会でトラバースは、私たちが心躍らせる歌とダンスのシーンにはしかめ面でため息つくけどw凧を揚げる親子の姿を見てむせび泣きます。彼女の長い心の傷が癒された瞬間でした。この映画を見てから改めてメリーポピンズを振り返ると更に感慨深いです。舞台観た方にはぜひこの映画も見ていただきたい。色々見方が変わると思う。
映画はこうしてきれいな形で終わっているけど、実際はトラバースは映画に不満だったと伝えられており本当のところは分からない。この映画についてはジュリー・アンドリュースについてもエピソードがあり、舞台で彼女の当たり役だった「マイフェアレディ」のイライザ役がオードリー・ヘップバーンになってしまい、「私に合う役を持って来なさい!」と言って舞い込んできたのがメリーポピンズと言われている。その結果ジュリーはアカデミー賞主演女優賞を得たけどマイフェアレディに出られなかった同情票だと思い素直に喜べなかったらしい(でもメリポピでのジュリーの歌声聴くと誰も勝てないと思う、それくらい絶品)。メリーポピンズは今見ても色あせない優れた作品で十分評価もされているはずなのに、スタッフやキャストになかなか愛されずある意味不憫だなと思っていた。それが舞台化によって新しく蘇り再評価されたのは作品にとっても幸福だなと思うわけですよ。ただパンフには「原作者のトラバースにも喜んでもらえると思う」と書いてあるけどかなり偏屈な人だったらしいからそれでも不満タラタラだったんじゃないかなw