「海の上のピアニスト」感想

こんにちは。今年最後の観劇となった「海の上のピアニスト」。観劇納めにふさわしいいい作品でした。私の中の評論家人格が(タートルネックにパイプをくわえながら)「ぼかぁこういうのが観たかったんだよ」と申していました。休憩なし1時間35分の中にぎゅっと濃縮された一つのテーマ。演者は3人のみ。一度も陸に降りず豪華客船の中で生涯を終えたピアニストを2人(ピアニストと役者)が演じ、もう1人が語り手やその他大勢を務める。舞台転換もなく、真ん中にグランドピアノと段差のあるデッキ、端の方に船の積荷があるだけというシンプルさ。でもそこで語られる物語は豊かで多彩で奇想天外で最後はじんわり心が温かくなりました。

まずは簡単なあらすじを。1900年豪華客船ヴァージニアン号の中で生後間もない赤ん坊が捨てられているのを黒人機関士ダニー・ブートマンが発見します。その赤ん坊は「ダニー・ブートマン・T.D.レモン・ノヴェチェント(1900)」と名付けられます。ノヴェチェントは育て親のダニーに愛情を込めて育てられますが、8歳の時にダニーが事故で死亡。その後からピアノを弾くようになり、バンドのピアニストとして成長します。トランペッターとして乗船した語り手と嵐で大揺れする中ユニークな出会いをし、生涯の友に。彼の類稀なるピアノの評判を聞きつけたジャズピアニストジェリー・ロール・モートンと対決して勝利するなど伝説を作ります。ふとした時に「外の世界を見たい」と下船を決意しますが、タラップを降りかけたところで中止、以後二度と船を降りることはありませんでした。やがて語り手は陸の生活に戻りノヴェチェントは船に残り続けました。その後第一世界大戦が始まりヴァージニアン号は病院船として駆り出され老朽化が進み1931年に解体されることに。そのニュースを聞いた語り手はノヴェチェントを思い出し解体寸前のヴァージニアン号に駆けつけます。そこにはダイナマイトの箱の上に座るノヴェチェントがいました。彼は船と運命を共にする決意をしてました。一緒に船を降りて陸の生活を送ろうと語り手は説得しますが、ノヴェチェントは固辞。その理由を聞いた語り手は自分の無力さに打ちひしがれながら船から降り、その瞬間ダイナマイトが爆発する音が響いたのでした。

私が観たのはもちろん北翔さんが出ていたからなんですけどね、正直観る前は「また男役なのか…」という気持ちがなきにしもあらずでした(今だからゲロるけどw)。何度も言うけど宝塚時代を直接は知らないし、男役としての北翔海莉を好きになったのではなく女優としての彼女を応援したいスタンスなんで許してくださいw 確かに所々男役の所作が出ていた。黒燕尾の着こなしとか声の出し方とか(彼女の低音ボイスセクシーじゃありません?)その他諸々。でもだんだん見ているうちに全体の雰囲気が柔らかいというか、男役独特のきりっとした佇まいではなくどこか優しげなことに気付きました。メイクが薄かったせいだけではないと思う。最初ハコが小さめだからそれに合わせて演技を変えたのかなと思ったけど話が進むうちにもっと意図的にやってるのだと思いました。というのもノヴェチェントはどこか浮世離れした世間擦れしてない不思議な青年なんです。実際戸籍がないんだけど、彼の存在自体「どこにもいない」と言うかとにかくふわっとしたファンタジックな存在なんです。しかしそんな彼が確かに実在したと気付かせる演出があって、それはピアノ対決の時。ノヴェチェントは北翔さんとピアニストの大井健さんの2人1役なんだけど大井さんは役者じゃないから当然ピアノ担当なんです。ノヴェチェントとしてピアノ演奏したり劇のBGMやテーマを奏でたり。しかしこの場面だけは「お前がノヴェチェントか?」と聞かれて「はい、そうです」と答えるセリフがあるんです。戦いを受けて立つ生身の男性としての姿が浮かび上がってくるんですね。ここで逆に北翔海莉のノヴェチェントのファンタジーさにも気づかされるのです(あ、でも大井さんカテコでめちゃめちゃ緊張したって言ってましたけどw その後の北翔さんの「ジャズなんてクソ食らえだ!」のセリフの方がドスが効いて迫力あったけどw)

語り手とその他大勢の役は喜多村緑郎さん。歌舞伎出身の新派の俳優さんですよね(調べました)。ノヴェチェントに比べるととにかく癖のある泥臭い演技で対照的なんです。本人の個性ももちろんあるだろうけど、彼は「世俗」側の人間であることを示すためなのかもしれません。語り手のトランペッターは元より親代わりだったダニーやジャズピアニストのモートン。色んな顔をくるくる見せてくれます。本当に見てて楽しい。つい最近まで出演していた「犬神家の一族」では金田一耕助の役だったんですよね。10日余りの稽古で今回の舞台を仕上げてくるのもすごいけど、私「犬神家の一族」ちょっと興味あったんです。観に行けばよかったーとその時後悔しました。

音楽も良かったんですよ。テーマ音楽が波のさざめきをメロディにしたような、海が大きなゆりかごになったようなイメージが湧く曲で。オープニングでこの曲が流れた時名作の予感かもと感じましたw 作曲者の中村匡宏さんと舞台に出ていた大井健さんは鍵盤男子というユニットを組んでいるらしい。何も下調べせず行ったのでこれも後から知りました。ピアノ対決の場面どうするんだろうと思ったら大井さんが椅子から立ち上がって鍵盤を叩きつけるような超絶技巧を披露していて思わず拍手が起きました。あと当初歌はない予定だったけど「北翔さんがいるのに歌わない手はないでしょう!」という理由で追加になったらしい。これは大正解でした。欲を言えばもっと歌って欲しかった。でもこれはミュージカルではないしね。セリフから歌に移るのがとても自然で小さなことかもしれないけど感動してしまった。やはり北翔さんは歌ってナンボ踊ってナンボやな!と痛感しました。勢い余ってアンケートにも「ミュージカルもっとやって!」と書いてしまった。振り返れば2018年の舞台は皆歌わない予定だったんだね。この仕事チョイスちょっとすごいですね。

ラストのノヴェチェントが船を降りない理由。これには色々考えさせられました。周りからすすり泣く声が聞こえていたけど個人的には「まあ他に選択肢はないよな」と妙に納得してしまったので泣きはしなかった。一度船を降りようとした時なぜ途中で引き返したのか?彼は「境界線がなかったから」と説明します。これまで限られた範囲の中で生きてきたノヴェチェントは無数の選択肢がある「自由すぎる」陸の生活にどうしていいか分からなかったと。普通一度も陸に降りない生活なんて現実にはありえないけど、私たちもある日「何でも自由にしていいよ」と言われ何をすればいいか分からず途方に暮れた経験ならあると思う。例えば進路を決める時、それまで学生生活をのほほんと送っていたのに「何をしたいの?」と突きつけられて「いや別に何もしたくありませんけど…」となったり。却って束縛を好むというのは往々にしてあると思うんですね。ただ、彼はそんな次元に留まらず外の世界に自分という人間は存在しえない(単に戸籍がないという意味でなくもっと根源的なところで)ことをその時悟ってしまったんだと思う。それまでは人並みに恋愛して結婚して家族を作って…という夢もあったのかもしれないけど、自分の存在のファンタジックさ、船の中でのみ自分が自分でいられる、最早船と一体化してしまったことに気付いてしまったのかなーと勝手に解釈しました。それが一瞬でストンと腑に落ちてしまったから静かに諦めることができた、船と運命を共にすることもすんなり受け入れたのでは。でもそれだけではない。彼には駆けつけてくれる友人がいた。それが彼が確かにこの世にいたということを証明してくれる。こんな嬉しいことってないと思うんですよ。だから最期、ノヴェチェントが晴れ晴れしい顔をしていたのも納得でした。逆に自分の無力さにどうすることもできない語り手が不憫で不憫で。無理矢理にでも連れてくればよかったのにと考える人もいそうだけど、どうすることもできないただ見守るしかないという無念な気持ちも分かる。別れ際に2人が抱きしめ合うんですけど、演じるのは男女なのにやけに清々しいんです。もし男性2人だったら却って色気みたいなものが出たかもなあ。

書くこともなくなってきたので最後に会場について。北千住の古くからの商店街を抜けたところに街の色に合わないのっぽのビルがあって最上階に天空劇場があります。周りがガラス張りなのでホワイエから景色がよく見えてそれだけ取ればシアターオーブみたいw 一方からはスカイツリーが見え、反対側は金八先生のオープニングのロケ地である荒川が見えました。下町の新しい顔と古い顔が一度に堪能できて何か感慨深くなってしまったw 帰りは麓の商店街に寄って地元の惣菜屋でおかずと大福を買いました。そんな中にもチェーン店が軒を連ねていて昔ながらの商店街の顔はだんだん薄れつつあり、最近人気の街と聞いていたのでここもどんどん普通になっていくんだなあと思いました、って関係ないこと書いてるやんけw!今度こそ本当に最後でどうでもいいトリビア。ノヴェチェントのいたヴァージニアン号という名前どこかで聞いたことあるなーと思ってたら、タイタニック号の救難信号を受信した船の一つだったんだ!ただし遠すぎて救助に間に合わなかったらしいけど。ノヴェチェント少年(タイタニック号事故は1912年だから12才)がいたとしたらと想像すると面白いね。

“「海の上のピアニスト」感想” への2件の返信

  1. 雑食さん、感想待ってましたよ~。
    今も「海の上のピアニスト」ロスです。
    最初の方、ラップで乗務員の紹介してる場面で私特に「厨房の無い豪華客船ってある?」って思ってしばらくそれに引っかかってたのですが、後から思うと「船から降りることなく一生を終えた」「最後に彼を見たのはダイナマイトの箱に座っていた」という事象をしばらく観客に忘れさせる効果があったかな、と後から思ったり(少なくとも私はあれですっかり忘れてました)前方下手の席だったのでノヴェチェントが暗闇の中でダイナマイトの箱(いつの間にか向きが変えられてダイナマイトを示す塗装が施された面が客席に向けられてた)に腰かけて、探し回る親友が発見する瞬間に照明が当たるのですけど、腰かける前からもう魂の抜け殻みたいなんです。そして照明が当たったときの斜め後方からの姿が表情は見えないけど、全身から生気が感じられなくて既に半分魂抜けてる感じでうわぁ、って涙が溢れました。あ、私の場合悲しいから涙が出るということはあんまりなくて、心を揺さぶられると楽しくても嬉しくても幸せでも怒りでも何でも涙になっちゃうんです。あの公演は自分があの世界にいるような臨場感に包まれてました。「こんなに純粋で心が美しい存在をどうにかして救い出せないの?」という気持ちと「本人が既にいくつもの葛藤を超えて覚悟を決めて、もうどうにかする段階じゃないんだ」というあきらめの気持ちでその場に居合わせてる身としての無力感と見届けてる感とかで自分の中では受け止めきれなくていろいろ溢れてしまうみたいです。あと、真逆の作品なのですが、手塚治虫の「奇子」を思い出しました。(もし知らない作品なら決してあえて読まないで下さい)だから余計にこの作品の爽やかさ、清涼感、現実にはありえない純粋さに夢中になるのかもしれません。

    1. こちらこそ、早速のコメントありがとうございます!
      「厨房のない船」そういえば言ってましたね!バンドマンがいるのにコックがいない豪華客船なんて聞いたことないw!あれどういうことなんでしょう?私も今思い出しましたw
      「奇子」知ってますよ〜。読後感最悪でしたw手塚治虫って「漫画の神様」として国語の教科書にも載っていたけどどうしてなかなかグロい作品もありますよね。同じ作者の「きりひと賛歌」もトラウマ漫画ですw
      「陸に一度も降りたことのないピアニスト」なんて設定が奇想天外すぎて現実にはありえないのですが、登場人物たちの心の動き、葛藤、その他諸々については私達もどこかで経験したことあるものばかりなんですよね。だからフィクションとは分かっていても本当はノヴェチェントは実在したのではないかとふと考えてしまうんです。それくらい胸に迫る作品でした。

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