「ふたり阿国」感想その2

「ふたり阿国」2回目の観劇してきました~!正直1回目が微妙だったので前回買いそびれた長芋の漬物を買ってこようくらいの気持ちでいましたがどうしてどうして、かなり良くなっていました。結論から言うと「来てよかったな」と思える出来でした。前回は3日目、今回は前々楽ということで演者の方々も馴染んできたのかもしれない、この頃になると観客もリピーターが多くなるからノリがよくなっていて拍手や手拍子がよく起きていた、その相乗効果で演者もいい意味で乗せられたのかもしれない、私自身一回観ているので内容が頭に入りやすくなっていたのかもしれない。とにかく舞台と観客の距離感が狭まって一体感を感じられました。映像では味わえない生(ライブ)の醍醐味ですね。

しかーし!どうしても分からない部分がある!正しく理解できた部分もあればやっぱり謎な所もある。それは仕方ないので今回また突っ込んじゃいますw

やっぱり二幕なんですよね。一幕もちょっと分かりにくい所あるんですけど(阿国がこふめに毒を盛った所。堕胎だけさせるつもりが薬が強すぎて死なせてしまったってこと?)、二幕は阿国どうした?キャラ変した?から始まり怒涛の展開に着いていけなくなるんです。名古屋山三郎のくだりは今回はちゃんと分かりました、でも予め彼の存在を知らなければまずスルーしますねw あと私は偶然に予習して知っていたけど猪熊少将がなぜ都を追われて流浪しているか分かります?舞台では公家の矜持を保ったまま最期カッコよく散りますが、実際はもっとショボいんです。彼は当代随一のプレイボーイで余りに派手にやらかしたので京を追われた、しかし懲りずに密かに舞い戻り仲間を誘い再び乱行パーティーの日々。ついには帝の愛人にまで手を出したため帝の逆鱗に触れる。関係者全員死罪にしろ!と帝は主張したがそんなことしたら余りにも多くの人が関わっているため被害が大きすぎてしまう。江戸幕府も困り果て結局猪熊少将始め中心人物が死罪になったのみで他は島流し。結果的に朝廷の力が弱くなり「お前ら自浄作用ないならこっちで管理すっぞ」と幕府の統制を許さざるを得なくなった、という顚末。私もこの舞台のために予習しなかったら分からなかったよ!でもそういう人少なくないんじゃないかなあ。名古屋山三郎といいある程度歴史好きなら知ってるんだろうけど…

あれだけ凛々しくて何者にも動じなかった阿国が二幕で弱々しくなったのは山三郎のせい?それもあるかもしれないけどお丹に次を託したのかなあ…と今回は考えました。実力でお丹が優った訳ではなくむしろ「狼の目を失っちまった」とまで言い放ってるんですが、阿国が存在する以上お丹は彼女をどうしても意識してしまい殻を破れない、面が阿国の歌舞伎踊りを選んだのは彼女にとっての到達点で次はお丹に成長してもらうために自分は身を引いたのかな…それなら抵抗せずにあっさり捕まったのも納得いくし…と今回は解釈しました。でも面が「阿国ちゃんのところに行きたいよ~」って自分から行ったのにそれで「女の癖に面を着けるとは!」って阿国が捕まるの理不尽じゃないですか!?(前回の記事の時は阿国が面を着けたと思ったんですが、お丹が「面が阿国ねえを選んだ」と言ってましたね)それともアレか?「女の声は天に届かない」はずが面が阿国を選んだことで届いてしまったから禁忌を犯したとかそういう意味なのか?そこまで深読みしなくちゃいけないもの?やっぱり分かんないよ~!!あと歌舞伎踊りの印象が薄い理由分かった!実際観るとそれなりの尺取ってるんだけど途中で中断されて2人の勝負が有耶無耶になってしまうから記憶に残らないんだよ!勿体ないせっかく昔の絵を再現した衣装で登場したのに、しかも「歌舞伎踊り→男装→宝塚」と連想できるじゃないですか!こういう所も原作付きながら阿国という役が北翔さんの当て書きに見える所以ですよね。とにかく出雲の阿国と言えば歌舞伎踊りなんだからもっと見たかったなあ。

その代わり殺陣の方が華々しいからこちらにウエイトを置いたのかもしれません。終盤の殺陣シーンかなりじっくり見せてますよね。市瀬さんが殺陣指導もしたらしいけど、一幕では彼の槍さばき、二幕では太刀さばきが見られて眼福でした。阿国以外殆ど殺られちゃったけどあれは死に様が見せ場だからいいんです!派手な散り際はここ一番の見所なんで一人一人にいい場面を作ったら結果的にみんな死んじゃっただけです!蜘蛛舞も何故か阿国助けに来てるけど彼等にも見せ場作りたかったんです!階段落ちあったし!確かに面着けたくらいで重罪にはならないし仲間が命がけで助けに来るのも不自然(一幕でお丹が面を着けて犬大夫が捕まった時もどーせすぐに戻って来るだろうとか言ってたし)だけど華々しく散るシーンを最後に持って行きたかったから無問題!こまけえことはいいんだよ!Don’t think, feel!!ということなんだと思います…つーかそうとしか思えない…今回は私もそのつもりで観てたのと役者さんの熱量が伝わったので奥義「こまけえことはいいんだよ」が発動したけど脚本の矛盾が大きいほどこの奥義が発動する閾値は上がるのでもっと納得しやすいオチにして欲しい、あとやっぱり初見だときつい…というのは変わらないです。

……はっ。今回は良かったと言いながら冷静になって頭を整理したらまた突っ込んでばかりだ。しかし本当に良かったというかホッとした点もあるんです。公演の詳細が明らかになる前、あらすじ読んだ限りでは「お丹が阿国にどうしても勝ちたくて芸を深めるために遊郭に入って男を知るとかそんな話なのか?」と心配していたんですがそんなやっすい話じゃなくて本当に良かった!たまにいるじゃないですか「処女のままだと深みがない、男を知ってこそ色気のあるパフォーマンスができる云々」抜かす下衆が。私そういう考え大っっっ嫌いなんです。大体S◯Xした位で変わるもんかよ!◯E◯に夢見てんじゃねーよ童◯じゃあるまいし!(別に伏せ字にしなくていいんですがここでは奥ゆかしいキャラなんでw←何を今更)こんなトンチキな解釈じゃなくてホッとしました。確かに芸能と色事は切っても切り離せない関係だけど(歌舞伎が一度禁止されたのも不純異性交遊が横行して風紀が乱れたせいですよね)それとこれとは別問題だし。劇中でも阿国は性に奔放だったことは示唆されていたけど敢えてそこをフォーカスせず芸の追求というテーマに絞ったのは正解だったと思います。阿国とお丹の相克を描きたいというのがちゃんと伝わりましたし。因みに原作は読んでないのでそこんとこどうだったのかは知りません。

つくづく舞台は生ものだと思います。演者の息が合えば舞台の熱気が上がるしそれに呼応して観客の反応も良くなる。それを見て演者が奮起してより輝く。心が通じ合う感じ。こういう舞台が見られれば大満足です。2回目はそういう体験ができたので本当に嬉しかった。しかし「何度か観れば良さが分かるから!」とはどうしても言えない。やはり舞台は一期一会だし一回で勝負すべきだと思う。演出は斬新だったし音楽もよかった、従来の和物に囚われない新しいジャンルを切り開こうとする意欲もいいと思う。でもエンターテイメントは分かりやすさが身上、敢えて深読みする余地を残す作品もあるけどこれはそういうものではないでしょう。再演することがあればぜひ手直しして欲しいなあ。キラリと光るものがある作品なだけにこのままでは惜しいと思う次第です。

“「ふたり阿国」感想その2” への2件の返信

  1. 観てて腑に落ちないけど自分では言葉に表せない…そういうところが読ませていただいてスッキリしました。同感です‼️と思うところが多々あります。今回はあれこれ考えずに楽しんだということで、次回再演があれば、全ての流れに納得のいく脚本に手直ししていただくことに期待したいと思います。いい舞台ではありましたけど。

    1. 前回記事に引き続き2回目のコメントありがとうございます。スッキリしたと仰って頂けて嬉しいです。ベタ褒め記事は書くの楽なんですが、そうでなかった場合は「こんな事書いたら角が立つかな…」と気になってしまうのでなかなか難しいです。とは言っても結局は自重しないんですがw 歌、踊り、殺陣などの多彩なエンターテイメントショーと深い人間ドラマを両立させたかったけど、前者を引き立たせたら後者が弱くなってしまった(分かりにくくなった)ということなのかなと思ってます。確かに言うは易く行うは難しではあるんですけどね。

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