「ジーザス・クライスト=スーパースターinコンサート」感想

行ってきました…ご存知の通り記録的な台風の翌日で交通機関が麻痺し、前日まではすっかり諦めてました。朝起きて電車復旧情報を検索したら少し離れた路線なら運行していることが分かりバスで20分かけて駅に向かい電車に乗り…という訳で何とかたどり着いたのです。席は9割方埋まってましたがちらほら空席もあり私の隣も空いてました。娯楽は安全な生活が保証されているのが前提で余剰から生まれるものなんだなとぼんやり考えながら、それでも運が良かったのだと気を取り直しました。

この作品はロックミュージカルなのでぜひとも英語で観たかったんです。だから上演が決まった時とても嬉しかったです。ラミン・カリムルーがユダと聞いてまた日本に来てくれるの!?と驚いたと同時に「ユダなんだ!ジーザスじゃないんだ!(ラミンで「ゲッセマネ」と「スーパースター」どっちが聴きたい?そんなの選べない!)」と興奮しました。また日本人の俳優も複数おり、「英語で上演するらしいけど発音大丈夫?」と一抹の不安も。楽しみだけど不安な面もあって、そして直前の台風直撃でちょっと普通の心構えじゃなかったですね。

内容は…原作が太宰治の「駆け込み訴え」なんでそちらを読んで下さい。短編だしパパッと読めちゃうよ。青空文庫で公開されていてタダだし。って違ーーう!!関係ありません!!でもここまで似てるとは思わなかったのでびっくりしました。だって第二次世界大戦中の日本で書かれた作品よ?非キリスト教圏の人間だからこそ書けたのかもしれないけど、悪人とされるユダ視点でキリスト(ジーザス)への愛憎半ばする思いを描くなんてすごいじゃありませんか。太宰治天才ねーってその話じゃないw 2つの作品に共通してるのはユダの重すぎる愛。「ジーザス・クライスト=スーパースター」は主役はジーザスですが実際はユダの方にフォーカスが当てられています。「俺が一番ジーザスを理解して愛しているのになぜ気付いてくれないんだ。なぜ理想の救世主になってくれないんだ」かーらーのー「可愛さ余って憎さ百倍」な展開。そこにジーザスへの想いに戸惑うマグダラのマリアや、ひたすら崇拝する12使徒のペテロやヨハネ、対立する存在のカヤパとアンナス、民衆の憎悪に流されるピラト、高みの見物のヘロデ王が絡んで来るのです。

観る前は色々モヤモヤしてたけどいい舞台でした!客席もノリが良くスタンディングしたりまるでライブみたい。「ゲッセマネ」と「スーパースター」ではショーストップする程の拍手が起きてました。特にラミンの「スーパースター」えがった!ラミンって余りに頻繁に日本に来るから感覚が麻痺するけど「やっぱりこの人はスーパースターだ。日本にいながらこんなパフォーマンスを見られるなんてありがてえ!」と拝みたい気分になりました。エビータのチェの時よりもリミッター外してる感じがしてめっちゃアガった!ジーザスの人もよかった!ただジーザスは「普通の人」という役作りだったんですね。そこら辺にいる兄ちゃんって感じ。いや「ゲッセマネ」では弱音を吐露するしそういう役作りも全然ありだと思うのだけど、この「普通の人」に大衆が着いて行くか?と思うと?でした。ラミンユダの方がカリスマ性あって目を引いてしまうし(私の贔屓目に過ぎないかもしれないけど)このジーザスとユダの組み合わせは正直どんなもんかなあと思うところなきにしもあらずでした。個々はいいんだけど相性としては…うーん。ラミンだと「ユダが救世主になっちゃえばいいんじゃね?」ってなるしw 今回のジーザスには、見た目は冴えないけど歌うとめちゃくちゃうまいみたいなタイプのユダが合ってたと思うんですよね。だから個人的な意見ですけど、二人の関係性に萌えるところまでは行きませんでした。逆にラミンユダに合わせるとしたらどんなジーザスがよかったのかな…真面目で繊細な優等生タイプかなあ…色々考えるのも楽しいです。

あと懸念していた日本人キャストの皆さん。私が英語に詳しくないだけかもしれないけど特に違和感なかった。要所に登場するプリンシパルよりも出ずっぱりのアンサンブルの方が難易度高かったと思うけどとてもよかったです。日本人と外国人が共演して英語上演なんてナンジャラホイと思ったけどこういうのもありなんだなと見直しました。もちろんプリンシパルの方々も上手だった。というか下手な人がいない!マグダラのマリアもよかったしみんな圧倒されました。特に、成河さんを見るの今回初めてだったけどすごい存在感ですね。ヘロデ王の場面でその場をかっさらって行きましたもの。「台風 has gone!」とかも言ってましたっけ。普段のインタビューでなかなか攻めた事を言うので舞台でどんなパフォーマンスをするのだろうと興味津々でしたがやはり濃かった。個性が強くてこれは好き嫌い分かれそうだなあとも思いました。でも気になって目が離せないんですよね。癖になる。

舞台セットは鉄骨の骨組でできていてバンドが見えるところにいて(オケは見えない所にいた)なかなかカッコよかったです。でも私の席が端っこすぎて舞台が見にくかったのは残念。お陰でヘロデ王がずっと舞台上にいるの気付かなかったよ(後で他の人の感想を見て知った)!見切れ席として販売してくれよ!と思ってしまいました。

そもそもキリスト教圏の人は聖書でお馴染みのエピソードですから余計な説明は必要ないけど、我々日本人が何の予備知識もなくいきなり観たら少し混乱するかもしれない。実際終演後ユダが自殺したこと分からなかったって話してた人いました。コンサート形式だから演出が分かりにくかったかな。その分ジーザスが鞭で打たれるシーンは血を滲ませたり苦しみ喚く直接の描写がなくてグロ苦手な私としては助かった。あと、音楽の力が半端なかった!何せアンドリュー・ロイド・ウェーバーだからね。製作年代が近いせいかエビータを彷彿とさせる旋律もちらほらあったような気がする。「へーざなほーざな」のメロディはなぜかヒッピー姿の若者が合唱してるイメージが浮かんだけどこれも時代が同じせいなのかな。まだ若かった頃の作品だからかかなり尖ってますよね。キリストを一人の人間として描くなんてキリスト原理主義からすれば許されなかったんじゃないかと思ったら案の定脅迫受けたことあったみたいです。ハリー・ポッターがNG(実際アメリカのどっかの州では禁書扱いのところがあったはず)なんだから当然これも駄目だったでしょう。

行きはよいよい帰りはこわいとはよく言ったもので、まさか帰る頃には電車復旧してるだろうとタカをくくっていたらまだ運休したままで結局行きと同じ道を辿りました。それでも行けただけで御の字です。文化村とWOWOW主催の企画なんで放送あるといいな…それなら観られなかった人も幾許か救われるだろうし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA