前の週にも無理を押してジーザスコン行ったばかりだしもう家空けられないんですよ…困った…でも「パジャマゲーム」を上演するとなればたとえ火の中水の中何が起きようとも駆けつけねばならぬ、日頃口を酸っぱくして再演再演吠える身としては!今回のは洗足学園ミュージカルコースの学生さんの公演で「ふたり阿国」にもアンサンブルとして出演していた方もいました。「おかあさんといっしょ」のりさおねえさんもそこ出身、たくみおねえさんは同学園声楽科、って何の役にも立たない豆知識はどうでもいいw もしかして2年前の公演を観て演目を決めたのかなとか、ふたり阿国で北翔さんと共演した時今度パジャマゲームやるんです~!なんて話したのかな?とか色んな想像しましたw
いくら専門的に勉強してるとは言え学生の実力ってどんなもんじゃろと思ってましたが皆さんお上手!シドとハインズの人がそれぞれ新納さんと栗原さんに声が少し似ていたような気がする。ベイブの人もうまかったしアンサンブルのキャストにも輝く原石がいました。オケもクオリティ高かったなあ。ここからミュージカルの世界に巣立つ人も少なくないのでしょう。もちろん訳詞は違ったけど思ったほど違和感はありませんでした。振り付けの一部やベイブの衣装が白のブラウスと青のサブリナパンツ/スカートだったりと影響を受けてる所も発見できて面白かったです。
多くの学生に出番を与える教育的配慮か2チーム制だったんですね。前日に公開ゲネプロがあったけど私が観たチームはその時がお客さんの前で初披露。そのせいか?1幕は少し硬めかな?という所もあったけど2幕は大分滑らかになってました。計4回の公演を2チームで回す訳だからそれぞれ2回しかやれないのが厳しい。8月から準備していたらしいからもっとやれるといいんですけどね。最後の挨拶でベイブ役の人が裏方のスタッフへの感謝を述べてました。一つの舞台を一からみんなで作り上げる作業っていいですね。色んな視点から物事を見られるようになって人としても成長できるんでないかしら。
パジャマゲームに関してはパブロフの犬状態なのでオーバーチュア聴くだけでテンション上がりました。今でもぐるぐる頭の中で流れてる~。とにかく音楽がいいよね!!ジャズとかカントリーとかタンゴとか色んなエッセンスが詰まってるし、「Once A Year Day」「There Once Was A Man」「Seven And A Half Cents」などノリのいい曲から「Hey There」のようなしっとり聴かせる曲までバラエティ豊か。どの曲もいいんだよね~。ミュージカルって音楽ありきってのを思い出させてくれる。
「ウエストサイドストーリー(WSS)」(1959年)がミュージカルの流れを変えたと言われているけど「パジャマゲーム」(1954年)はそれ以前の作品なんですよね。一応労使交渉をテーマにしてるけど社会問題を真正面から捉えたものではなく、あくまでハッピーなミュージカル。冒頭ハインズの「これはシンボリズムに溢れている」と言う台詞どういう意味なんだろうとずっと考えていたんですが、台詞だけ見れば頭空っぽで楽しめる作品(褒めてます)に対する皮肉に聞こえる。敵の総大将であるはずのハスラー社長ですら憎めない造形になってるし、実際の労使関係ってもっとシビアだもの。勤勉なジャパニーズからすれば「お前ら嫌がらせの方法ばかり考えてるな!」って思っちゃう。「二重帳簿をチャラにしてあげる代わりに賃上げを実現しました。最後仲直りしてみんなでファッションショーを開きました」なんてファンタジーそのものw 日頃労働や待遇にブースカ言ってても会社を挙げての年に一度のピクニックは楽しみにしてて、社長以下みんなで食べたり飲んだり羽目外したりw牧歌的。向こうは日本よりもドライで個人主義なイメージあったけど昔は違ったんですかね。それとも田舎町故の結束の強さなのかな。いかにも1950年代アメリカ黄金期の作品という感じだけど、メイベルが新聞を読みながら「最近の少年犯罪は怖いわね~」みたいなことを言ってWSSの萌芽は既にあったんだなと思いました。それに対してシドが「僕らが若かった頃より楽しそうだよ」と答えていて、シドが若かった頃はまだ戦争中だったんだろうなと考えてました。
今回はオリジナルに忠実な演出だったんでトム・サザーランド版の演出の違いがより鮮明に理解できました。アンサンブルの一員だったチャーリーをメインキャラに据えたりベイブの父親をカットしたのは前記事にも書いた通り。それだけでなく始めの方の流れがすっきりスピーディーになっていたり(元は結構だるかった事が判明w)ベイブの本名である「キャサリン」が劇中にも出てきたけど日本の観客に分かりやすくするためかトム版では「ベイブ」で統一していたり、何だかんだ言ってグラディスはハインズ一筋なのが明確になっていたり、ホワイトカラーとブルーカラーの衣装に差を付けて舞台転換をブルーカラーのみが担うことでシンボリズム云々が明確になるなど色々。あと「シドって元々マッチョで…」というのは新納さん言ってたけどそれだけでなく野心家でもあったみたいです。「この田舎町で成果を上げたい。後がない」とはっきり言う台詞が出てきてちょっとびっくりしました。トム版では野心家でマッチョな部分はなりを潜め、「都会から田舎町にやってきた異分子感」が強調されてました。
異分子と言えばベイブもなんですよね、特にトム版では。そういや舞台のどこにいてもぱっと目を引いていたっけ。それは背が高いのとスタイルがいいせいってのもあるんですが、当時北翔さんが浮いているって評もあったんです。まあ~硬いところはあったよね正直。でも欠点を補って余りある存在感と歌の表現力。この人をもっと見ていたいと思わせる引力って誰でも持ってる訳じゃない。贔屓の引き倒しかもしれんけどうまい人はいくらでもいるのに何が違うんだろ。それはともかく、トム氏が当時のインタビューで男役の北翔さんを見てベイブにぴったりだと思ったとか、敢えて女優になろうと役作りしなくてもいいと言ったエピソードを今回思い出しました。トムが思い描いたベイブ・ウィリアムズって怒れる女闘士だったんだなと。今回観たベイブがフェミニンな女の子だったこともあり、北翔ベイブの凛々しさ雄々しさが改めて思い出されました。本人は「女に見える?」という方を気にしていたようだったけれど、演出家のトムは雄々しさをベイブに求めた。実際皆ベイブを頼りにしてましたよね。彼女がクビになっても一緒に作戦会議していたし労働組合の精神的支柱みたいなところがあった。でも他の誰とも違う雰囲気も備えていた。そこで同じ異分子同士のシドとベイブが惹かれ合うことに必然性を見出したってことなのかなと思い辺りました。脚本上はシドとベイブがくっつくのかなり唐突感があるんだけどwそれを露骨に感じなかったのはそういう仕掛けがあったからかもしれない。あといい年の癖にバカップルやってる2人に私がキュンキュンしたのは「この世界には馴染めない2人がお互いを唯一の存在として惹かれ合った」シチュエーションに萌えたからかもと思い当たりました。自分の性癖ドストライクというか。そんなことはどうでもいいんですがね。
今回オリジナルに近いバージョンを観て改めてトム版のよさにも気付く事ができました。あんまり現代風にアレンジするのは好きじゃなかったけど、古いものを現代に蘇らせるための処置は大事ですね。要は物語の根幹を崩さず原典へのリスペクトがあればいいのよ!という訳で再演やろうよ!今回学生公演の演目に選ばれたのもそれだけインパクトがあったということですよ!学生さんとその辺話してみたかったけどウルトラ人見知りなので勇気がなかった…北翔さんにもまたこうぱあっと弾けた役やって欲しいなあ。有名作品でなくていいから、「えっこんなのやるの?」という意外性が欲しい。最近本人が考える「自分に合った役」志向な気がするので。女優としてこなれてきた今の彼女でまたベイブが見たい!