「bare」感想

2月に入りCHESSが今年の観劇初めだったのにそこから怒涛の観劇週間。一週間に3回も家を空ける道楽っぷりこれもCHESSbareが日程丸被りしたからいけないんじゃー!!という訳でCHESSの余韻も抜けないうちにbare観てきました。これもよかった音楽もいいしお話もよくできていてバランスのいい作品でした。悲しい話だけどハマる要素あるよな、再再演らしいけど繰り返し上演するの分かる。

でも申し訳ない!CHESSは観た後の勢いですぐに感想書いたけどこっちはしばらく寝かそうと思ってるうちに書く暇がなくて延び延びになってました。忘れた訳じゃないのよ。こちらの方が一筋縄では行かない複雑な内容という理由もあって手をつけるのが面倒になってしまったのです。そんな訳で満を侍して?感想行きまーす。ネタバレには配慮してないのでご注意を。

舞台は現代アメリカ、カトリックの寄宿舎高校。成績もスポーツも一番な学校の人気者ジェイソンと地味な男子学生ピーターは実は恋人同士。二人の仲を秘密にしたいジェイソンに対して、ピーターはカミングアウトして全てをさらけ出したいと苦悩していた。そんな中校内で「ロミオとジュリエット」を上演することに。当たり前のようにロミオ役を射止めたジェイソンに対し、彼の影に隠れ何でも二番に甘んじるマットは嫉妬心を抱く。ジュリエット役はこれまたスクールカースト上位の美人のアイヴィ。そんなアイヴィのルームメイトでありぽっちゃり自虐キャラのナディアはジェイソンの双子の妹。

ここまでの設定だけで「おうおうおう!火薬庫みたいな高校だな!」と思ってしまいました。カトリック!ゲイ!スクールカースト!もちろんこの話は前提知識がなくても十分に共感できる内容だけど、アメリカの現実を知っているとより地獄みが増すと思います。誰だアメリカが自由の国って言った奴は!?見方によっては日本よりも雁字搦めに不自由で抑圧された世界だぞ!って私もよく知らないけど。これから書くことに間違いがあったらごめんなさい。世界のニュースをながら見して分かった気になってるレベルなので訂正箇所あったら遠慮なく指摘して下さい。まずカトリックの寄宿舎学校という時点でお、おうでした。アメリカって多民族国家だけどキリスト教が社会に及ぼす影響って大きいんですよね。「聖書の教えに反している!」という理由でダーウィンの進化論を否定したりハリポタが禁書扱いになっている地区があるというのは知っている方も多いと思います。宗派にもよるけどかなり急進的な一派もあるんです。それだけに留まらず、人工妊娠中絶禁止の州もあるし現に大統領選挙のような大きな選挙でも争点になる程彼らにとっては重要な問題です。敬虔な人は聖書で禁止されている同性愛にも否定的です。最近よく耳にするプロチョイスとかLGBT運動というのはこういう反動から生まれてきた側面があるのですが、我々はその片面しか見ずに「アメリカは考えが進んでいる」と判断してしまっているのかもしれません。更にスクールカーストもえげつないです。リア充でなければいけないという圧力はもしかしたら日本より強いかもしれません(オタ文化が日本でここまで受けているというのと裏表かも)。よくあちらの映画やドラマを見るとプロムというイベントあるじゃないですか。ドレスアップした男女がペアを組んで出席する卒業パーティー(ハリポタ4巻にもそのエピソードがありますね)。私のような非リア充はどうすんねん!絶対相手なんて見つからないよ!日本人でよかったw!だから陰キャが銃乱射したり、レリゴーが性的マイノリティが抑圧から解放される歌だという主張が出てくるという一面があるのです(レリゴーはそのまま訳すと「もうどうにでもなーれ」という自暴自棄、ヤケ、後は野となれ山となれというニュアンスだそう。日本語の歌詞はかなりマイルドになっているようです)。

同性愛傾向のあった息子を「矯正」させるためにカトリックの学校に入れた母親、そこまでするくらいだから同性愛を生理的嫌悪というレベルで恐れているし、それでも息子を愛する気持ちには変わらないから葛藤している。ピーターも母の気持ちが分かるからこそ逆に全てをさらけ出して「ありのままの姿」を愛して欲しいと願っている。ジェイソンは親から受ける期待、仲間から受ける羨望を十二分に意識しているからゲイと知られるのを極端に恐れている。ピーターは簡単に「隠したくない」と言うがジェイソンは彼より失うものが大きすぎる。ナディアが「私だけはあなたの味方だから」と恐る恐る言っていたように、ジェイソンの両親は息子の性指向を知ったら拒絶するだろう。他者から褒められることで自己評価を築き上げてきたジェイソンにとっては死刑宣告に等しい。でも自殺はカトリックでは罪だよ?ゲイで自殺で二重の「罪」を犯したらきちんと弔って貰えないのでは?と心配になってしまう。アィヴイもリア充キャラで余裕たっぷりに振る舞っているが内心では自己イメージとのギャップに苦しんでいる。そんな中まさかの妊娠が発覚して途端にピンチに。この保守的な環境で中絶とか無理じゃない?人生詰むじゃん。ナディアは出来のいい優秀な双子の兄と美人のルームメイトに囲まれてそれに抗うよりも自虐と皮肉で鎧を作って自分を守っている。やはりスクールカーストの犠牲者。と、ここまで考えたら地獄み深すぎる。わーーん!!!となってしまった。

そんな複雑な背景を持つ彼らですが、面白いのは「可哀想と同時にそれぞれがずるい面を持っている」ことなんです。ピーターは「カミングアウトしたいって言うけどさ、ジェイソンの都合も考えてやれよ」だし、ジェイソンは「ゲイをカモフラージュするためにアィヴイとセックスするなんてひどすぎね?」だし、アィヴイは「スクールカーストトップの自分へのトロフィーとしてジェイソン選んだんじゃね?」だし、マットは「何でもジェイソンに負けて2位だからってゲイをバラすなんてひどくね?」である。だからこれらのキャストをダブルにすることによって、それぞれの個性や組み合わせの妙で同情できる面とずるい面の出方が変わって面白い効果が出るなーと思いました。私は1回しか観れなかったけどいろんな組み合わせで観たかったと後で思いました。

そんな息の詰まる展開の中で一服の清涼剤の役割を果たしているのが我らが北翔海莉ですよ(ここまで長かった!元々彼女目当てで行ったのにw)!黒人の修道女であるシスターシャンテル!彼女が迷えるピーターに啓示を与えるのです。その助言によってピーターは強さを得ていきます。1幕と2幕ではピーターとジェイソンの立場が逆転していて、1幕では暗中模索だったピーターが2幕では自身の中に核を作って強くなっているのが分かります(逆にジェイソンは段々追い詰められていく)。シスターシャンテルは明るく元気に歌い踊りながらも「ゲイも黒人も受けてきた差別は同じ」と優しく諭します。パワフルなシンガーかつ慈愛の聖母で彼女ぴったりでした。「本人に合った役だなあ」と思ったのは久しぶりなんで本当に嬉しかったです。歌もよくて、元々は太っちょの黒人の女性がソウルフルに歌うナンバーでそれをそっくり日本人がコピーするのは難しいんだけど、彼女は日本人ならどう歌うのがいいのかというアレンジがうまいんですよね。そのままじゃないんだけど自分のものにしている。これが一流の証だよなと思いました。だからもっと大きい箱で沢山出演するのが合ってるのに!そこまでガツガツしてないだろ!とやきもきのジレンマも起こしてしまった。もっと洋物ミュージカルに出てくれってアンケートにまた書いちまったよ!彼女がミュージカル出てくれないと観劇そのものの興味も薄れる!コンサートじゃ物足りない!事務所の力とか大人の事情関係なしにワシはいいもんがただ観たいんじゃ!と拳を握り締めながら痛感しました。

あと、最後に蛇足なんですが昨今話題の黒塗り問題について。日本人が翻訳劇を上演する時黒人を演じる場合は肌を黒く塗るのが慣例となっていましたが最近では急速にこれが差別的ということで廃止されています。今回もなかったです。観劇クラスタは概ねこの傾向を歓迎しているのですが私はこれに異を唱えたい少数派なんです。そもそもなぜ黒塗りが差別的とされているのか、それはアメリカの歴史の中で白人が肌を黒く塗って歌や踊りを披露するミンストレル・ショーが黒人差別的だったから。その文脈で肌を黒く塗ることが差別を想起させるというものなんです。しかしそれはアメリカの負の遺産でしょう。アメリカの白人達がその歴史の中で激しい黒人差別をしてきたから今軌道修正をしているのでしょう。こっちにまで押し付けてくんな、知らんがな!というのが本音です。もし向こうが何か言ってきたらこちらには差別の意図はありません、黒人の役者を使う訳にもいかないのでやむを得ない措置ですで終わりです。話は変わりますが、この原稿を書いている20202月現在、コロナウイルスが猛威を奮っていて、世界旅行に行った日本人達が同じアジア人という括りでコロナコロナと差別を受けています。道を歩いているだけでコロナと言われたり口を塞がれたり、酷い場合だと石を投げられたり。そんな報告がツイッターを眺めていると沢山流れてきます。先進国であるはずのアメリカや西欧諸国でもそれは変わりません。そういう人達を無理やり抑えるためにポリコレが生まれたのです。いくら日本でもここまでの酷い差別はないと思います。もちろん「日本すごい」なんて言うつもりは毛頭ないし、日本は日本で根深い差別問題があるのは承知です。でも道を歩いている中国人にコロナなんて言うクソガキはいたとしてもごく稀でしょう。何が言いたいかと言うと、ポリコレにしても黒塗り問題にしてもそれが生まれた背景が必ず存在するってことです。その上で我々が従うべきかを検討してもいいのでは。

黒塗り問題にしても、あちらのロジックを押し付けてくることにむしろ私は傲慢さを感じてしまって。日本人もただ従ってるだけじゃなくて自分の頭で考えろよなーと思う訳です。特に今回のシスターシャンテルの役どころは黒人というだけで差別を受けてきて、ゲイで苦しむピーターに共鳴する役どころなんだからそんな重い設定を台詞で説明するだけでいいのかなあ?と思ったのでありました。まあでも今の世の中敢えて黒塗りしたら逆に差別者呼ばわりされて、演出家としてはそっちの方が怖くてできないよなー。

“「bare」感想” への2件の返信

  1. 毎回の読み応えのある記事、今回もありがとうございます。今の世の中の状況だとこの先の観劇予定もどうなるか分からない、行けるときに行って良かったですよね。私はギリギリまで調整を試みたけれど結局観劇出来ませんでした。自分も世の中も早く日常生活に戻って観劇して雑食さんと感想を語り合いたいです。

    1. コメントありがとうございます。
      本当にこんな時こそ日常のありがたみを痛感しますね。それでも東日本大震災の時よりは計画停電もガソリン不足も余震もないのでずっと精神的には楽です。いつか収束するだろうというというのも分かっているし。
      振り返ればbareと同時期にやっていたCHESSの時既に入場口にアルコールが置いてありました。しかしここまでエンタメ界に影響が出るとはその時は想像してませんでした。あれからまだ1ヶ月しか経ってないことに驚きです。早く日常が戻ることを祈ってます(でも今回を契機に簡略化されたものやリモートワークなどはそのまま継続して欲しかったりするw)。

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