紅はこべ続編「エルドラド」について(追記あり)

「エルドラド」は紅はこべシリーズの4番目に刊行された長編作品。1982年ドラマ版の下敷きの一つになったというのと、海外のサイトで高い評価だったという理由から重要な巻だと思い、英語と格闘して何とか読んだ。この間に2巻「復讐するは我にあり」3巻「神出鬼没の紅はこべ」があるが、2巻は一応パーシーが出て来るけど外伝的な作品、3巻はショーヴランが再登場して再対決!となります。でもスケールとしてはこの「エルドラド」の方が大きいです。

これまでも様々な境遇の人々を救出してきた紅はこべだけど、今回救うのは王太子!スケールが違う!警備も厳重だが、パーシーはどんな奇策を打ち出すのか?

と、その前に言いたいことがある。まず一つ。これは紅はこべ続編全般に言えることだけど、ショーヴランなぜお前が生きていられるんだ?!余りにカジュアルにギロチン送りになる御時世で、1巻の失態だけで十分死刑相当だぞ?それに紅はこべの正体をバラさないのもおかしすぎる!(まあ、ルパン3世における銭形警部のようなものなんだろうけど。そういやルパンも「こまけえことはいいんだよ」系の作品だな)。そして二つ目。1巻でマルグリートの唯一の血縁者であり頼れる兄であったアルマン。それが今作では未熟で駄々っ子のような弟になっている!マルグリートのこと「little mother」なんて呼んでるんだぞ?1巻と4巻の発行年は8年空いてるらしいが、オルツィさんが設定忘れた?まさか?!話の都合上アルマンの性格を変えなくてはならなかったということなんだろうけどそれなら紅はこべに憧れるマルグリート兄妹の親戚設定にでもすればよかったのに…

と、最初に大きな不満を述べたが、以上の2点に目をつぶれば(見過ごせないほど大きな点だと思うけど…)これはとても面白い作品である。序盤はゆっくりだが、11章でパーシーが登場した辺りからどんどん話が進んでいく。私は「次どうなるの〜?!」とゴロンゴロンしながら寝食忘れて読んでしまったよ。特にパーシーの色々な側面が多く見られるのが嬉しい。1巻はマルグリート視点で話が進められ、紅はこべとは何者か?が大きなテーマとなっていたのでパーシー自身の掘り下げはなかった。しかしここでは、まるで少年がイタズラの計画を立てているようなノリの紅はこべメンバーとのやりとり、アルマンに手を焼いて苦悶してるところ、ロンドンに残してきたマルグリートに想いを馳せるところ、再会したマルグリートとのイチャコラ、ショーヴランにマルグリートの事を侮辱されてブチキレたりなどなど、パーシー萌えな人にとってはとても嬉しいエピソードが満載。その中でも、マルグリートがなぜそこまでして王太子を助けようと思うの?と尋ねた時のパーシーの答えが泣ける。

“Poor mite,” he murmured softly; “he walked so bravely by my side, until the little feet grew weary; then he nestled in my arms and slept until we met Ffoulkes waiting with the cart. He was no King of France just then, only a helpless innocent whom Heaven aided me to save.”

ミュージカル版の「ひとかけらの勇気」ってこれのことだったんだーと納得。ここを読むまではこの曲に対して「いいメロディだけどパーシーらしくないかなあ」と言う気持ちもあった。なぜなら貴族を助けることは彼等にとって狩猟やスポーツと同じ感覚だから!真摯なヒューマニズムや理想が根っこには存在していたとしてもそれを掲げることはせず、あくまでスリリングな遊びだと主張するのは彼等の矜持だと思っていたし、シリアスな歌は似合わないと思っていた。でもこの箇所を読んで「ひとかけらの勇気」が作られた意味が理解できたし、曲に対する愛着も深まった。

あと、ピンパーネル団のメンバーのキャラ付けがされているのも面白い。アントニー・デュハースト卿とヘイスティングス卿は根っからスポーツ感覚で紅はこべの冒険を楽しんでいる。対してサー・アンドリュー・フォークスはギロチンの危機にある人々に対してシンパシーを寄せる真摯な部分もある。細かな心の機微にも敏感でパーシーの苦悩にも気付くことができ、本書ではマルグリートのサポート役も担っている。

遅くなったがここで簡単なあらすじを。紅はこべの今回のターゲットはルイ16世の息子である王太子。しかしもう一人王太子救出を画策する者がいた。オーストリア人で王党派の貴族バッツ男爵である。アルマンは紅はこべ団の一味としてパリに来たが、パーシーの「目的を遂行するまでは旧友に会ってはいけない」という言い付けを破り偶然会ったバッツ男爵と劇場へ行ってしまう。そこで主演を務めていた人気女優のジャンヌ・ランゲに一目惚れをしてしまった。バッツ男爵は王太子を救出することによりオーストリア政府から巨額の報酬を得ようとしていたが、紅はこべがその手柄を横取りするのではと考えていた。アルマンはバッツ男爵に自分が紅はこべの一味である事を漏らしてしまう。そしてバッツ男爵は革命政府の役人フーケにそれを密告したのだった。革命政府はジャンヌの家にいたアルマンを逮捕しに来るが、ジャンヌのとっさの機転で難を逃れることができた。これがきっかけでアルマンはジャンヌをより深く愛するようになる。しかし今度はジャンヌが逮捕された。王太子救出の日は刻一刻と迫っている。しかし最早アルマンはジャンヌのことしか頭になかった。これが完璧だったはずの紅はこべの計画に大きな穴をあけることになる…

ここでアルマンが好きな人(そんな人いるのか?)は注意。この作品でおそらく10人中9.9人はアルマンをボコボコにしたくなります。1982年ドラマ版を見た時にアルマンが迂闊な行動を取っているのを見ておや?と思ったけれど、原作の1000倍くらい薄められたのだと後で知った。ミュージカル版でもアルマンがやらかしてた気がするがあれも10000倍薄い。それ位本書に書かれているアルマンの行為はひどい。私なんか「バーカバーカバーーーーカ!早くパーシー殴っちまいな!」って毒付きながら読んでたよ。それでもパーシーは許すんですけどね(何て寛大なんだ!)。そしてマルグリートには全てを明かさない。ただここで個人的にひっかかるんだけど、彼女にとっては自分を愛してくれているからこそ全部打ち明けて欲しいと思うんでないかな?と。彼女を守りたい気持ちは分かるんですけどこの時代の価値観なんですかね(突然話飛ぶけど、夏目漱石の「こころ」を読んだ時も奥さんに秘密を隠した先生を見て同じ事思った…本作と同じ位の年代だよな確か)。

20180317追記     うわーっ!大分前の記事で大きな間違いを見つけてしまった!既に直しといたけど、アルマンが恋する女優はルイーズじゃなくてジャンヌです!ごめんなさい!何でこういう間違いをしたかと言うと、1982年ドラマ版ではルイーズ・ロジェと名前が変わっているからです。なぜこんな変更をしたのかは知らないけど。そう言えば紅はこべメンバーの中で一番目立っているのはサー・アンドリュー・フォークスなのにミュージカル版では彼出てこないんですよね(宝塚版にはいます)。まあパーシー以外差別化されてないけど…これも不思議。

 

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