「サンセット大通り」感想

観劇してから感想書かずに大分放置してしまいました。確か私が観たの325日だったんですよね。この頃は一旦閉鎖された劇場がぼちぼち復活しかけて「いけるか?いけるか?」と思ってた矢先東京都知事の会見で一気に緊張感が高まってその後緊急事態宣言が出てという激動の時期でした。私もそれまではそんなにうるさく言われなかったのに前日の夜くらいから「大丈夫なの?」と家族に心配され、当日は白い目で見送られ、翌々日(27日)のリトルショップオブホラーズは泣く泣く諦めたという次第です。確か観劇した日の夜に都から「週末都心へ出るなこの田舎者め!(意訳)」という声明が出て「27日は金曜でまだ週末じゃないからセーフ♪」という言い訳が通用するとは思えなかったので。まだ振り返るには早いですがこれを書くために色々思い出しました。

そんな中での観劇だったのでどうしても思い出にノイズが入ってしまうんです。席もそれなりに空席があって「仕方ないけど寂しいなあ」と思ったり、自分の後ろに座ってた2人連れがマスクもせずに喋ってたのが気になったり色々。アンケートで出演者の皆様に応援メッセージ書きたかったけどアンケート用紙自体なかったし。

そんなこと言っても始まらないので本題に移りましょう。この作品は1993WEで初演されましたが、1950年公開の映画が元になってるそうです。映画は未見なんですがwiki読んだら筋立てはかなり忠実のようです。あらすじは以下の通り。経済的に困窮しているハリウッドの脚本家、ジョー・ギリスは借金の取り立て屋に追われてサイレント映画の大女優、ノーマ・デズモンドの邸宅に迷い込む。そこは時が止まったような空間で世間から忘れ去られたかつての大女優と執事がひっそりと暮らしていた。ジョーが脚本家であることを知ったノーマは映画にカムバックするために自ら書き上げた「サロメ」の脚本を手直しするよう依頼する。それはしょうもない駄作であったが、ジョーは借金取りから身を隠せるということもあり住み込みで依頼を引き受けることに。時間が経つうちノーマはジョーに好意を寄せていく。ジョーは拒絶するがショックを受けたノーマが自殺未遂を起こし捨てるに捨てられず、ずるずると巻き込まれることに

冒頭でジョーが殺されたことが明示されるので観客は惨劇が起きるまでの顛末を見ていくことになります。だから冒頭から不穏な空気が流れ、様々なイベントが起きる度にそれがジョーの破滅フラグへと収束していくのです。そんな中明るいナンバーもあって緩急のある流れは流石手慣れてるなと思いました。ただ50年代の明るく活気ある雰囲気の映画スタジオとアール・デコで彩られ時代錯誤が甚だしい時が止まったノーマの屋敷とのギャップがより強調される結果となっていて、ノーマの狂気が際立ってエグいです。

そんな訳で脚本と音楽はいいのですが、なんでかなー、確かによかったんだけど「これが生の迫力か!すげー!」というぶわっとくる感情がなかったんですよね。とても無難というか。その原因はキャストかも。キャスト自身が悪いわけじゃないんです。それどころかノーマは日本のミュー界12を争う歌うまの濱めぐさん、ジョーも人気と実力を兼ね備えた平方元基さんで安定感あるコンビ。それが却って災いしたのかもしれない。濱めぐさんって第一線でバリバリ活躍している人じゃないですか。技術はとても高いんだけどノーマの忘れ去られた人感がない。現実に抗って過去の栄光にしがみつき妄執を晒すあの狂気が伝わってこないんです。ノーマを演じるには若すぎるし。だからジョーとの並びを見ても「やべーよやべーよ」感がない。「こういう歳の差カップルもありっすね」とすんなり受け入れられてしまう。だから緊迫感に欠けていると言うか。ジョーの平方さんもうまいんだけどギラギラした野心とかノーマを虜にする色気が少し足りないかなあと言うか。赤字にならないように安定感と集客力のある役者で固めましたというのが見え見えなのが萎えてしまったのかも。興行主じゃないから好き勝手なこと言ってしまうけど、最初から60点狙ってる舞台より何が出てくるか分からないびっくり箱のような作品が観たいんです。ライブの臨場感を観劇に求めるタイプのオタクだから余計そう感じるのかもしれませんが。

例えば、かつては主演やっていたけど歳とって脇役に回るようになった女優さんいるでしょ。技術と貫禄あっても主役級の役がなくて脇役に甘んじてる人。宝塚OGに多そう。そういうタイプがノーマやるとすごみがでるんじゃないかなと想像するんです。ノーマは50歳だけど50年代の設定なのでアンチエイジングが進んだ現代だと60歳代くらいでもいいかもしれない。それで30代の若い男性俳優と組むと想像しただけで私はゾクゾクしてしまう。でもそれだと集客できないですよね。だから無難なキャスティングに落ち着くというのは分かります。あとは日本のミュージカル界って層が薄いですよね。海外だとメリー・ポピンズとノーマが同じ役者だなんてありえない。実力がありかつ集客力のある俳優が少ないということなんでしょう。役者を育てるのは興行側の役割だけど冒険する程の資本がないからテレビで名の売れた人をいきなり主役にしたりお馴染みの舞台俳優を何度も使って「あーまたこの人かー」みたいな。それで人材が育たないのスパイラル。

それなりにいい出来だったのにこんなにくどくどと語ってしまったのは「もうちょっと化けられる要素あったのになあ!」ともったいなく思う気持ちが強いからかもしれません。作曲はあのアンドリュー・ロイド・ウェーバーというだけあって音楽がいいです。超有名作ほどじゃないけど23日経ってもいきなり一回聴いただけのメロディが頭の中で鳴り出すのは半端じゃない。脚本の良さは先述した通り。ジョーの才能を評価し彼を愛するようになるベティ役が平野綾さんで舞台の彼女を見るのは初めてだったんだけど、声が妃海風さんに似ている気がしました。「明後日は妃海さん見られるんだ〜ふふふーん」とその時は思ったのにリトショ観られなかった悔しさよううう。

そんな訳で観劇はこれを最後にパタリ。これを書いてる6月時点で再開の兆しはまだありません。クラスターが出る出ると言われた劇場、満員電車、パチンコ屋などは実は発生してないんですよね。最初はおっかなびっくりだろうけど秋ごろにはぼちぼち再開して欲しいなあ。

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