こっ今回は訂正記事じゃないからね!いつも間違えてるわけじゃないんだから!追記として書こうとしたけど長くなったので独立させました。
第2幕、地下ピクニックの場面で「ウィリアム・ブレイク」という人の名前が出てきますよね。エリックが「これを読めば僕のことが分かる」と言って出したのがブレイクの詩集。そこでブレイクとは誰ぞや?と気になって調べたんですが「17~18世紀にかけて活躍したイギリスロマンティシズムの詩人、画家、幻視家」と出てきました。ほうほう詩だけでなく絵も描けるのか多才だな…ん?幻視家???何と彼は子供の頃から幻想が見えたんだって。はえ~何かすごいね。エリックが「彼は神様を見たことがあるんだ」と言ってたのはそういうことだったのか。ネットで調べると彼の描いた絵がたくさん見られます。宗教的で幻想的でおどろおどろしいのもあって…俗っぽい言い方をすれば深読み可能でどこか中二病を刺激する謎めいた魅力があります。興味持たれたら調べてみて下さい。詩も隠喩が多くて解釈の幅が広そうな作風、現にロックミュージックやSF小説や映画などの分野でインスピレーションを与えたらしい。私もどこかで名前聞いたことがあるなーと思ってたら毎年イギリスでやる音楽の祭典プロムスのラストナイトで必ず演奏する曲「エルサレム」の作詞家でもあった!いつか行ってみたいなあ、本場のプロムス。おっと話が逸れました。エリックが劇中で紹介したのは詩集「無垢と経験の歌」から「小さな黒人の子ども The Little Black Boy」という作品。引用してるのは冒頭のみだけどせっかくなので青空文庫から邦訳をお借りしました。
小さな黒人の子ども
お母さんが南のジャングルで生んだ子だから
ぼくは黒人。おお、でもぼくの心は真っ白だ。
イギリスの子どもは天使のように真っ白。
だけどぼくは光をとられたように真っ黒だ。
まだ日があまりのぼらないうちに
お母さんが木の根元に座って教えてくれた。
ぼくをひざに乗せて、ぼくにキスして
東の空を指さしてこう言ったんだ。
のぼってくるお日様をごらんなさい。あそこには
神様がいらっしゃって、光と熱をくださってるの。
花も木も、動物も人間も、朝のやすらぎ、
昼の歓びを神様からいただいているのよ。
私たちがこの地上にいるのはほんのわずか、
それは愛の輝きに耐えることを覚えるためなの。
この黒いからだと日にやけた顔は、
雲のような森の木陰のようなものよ。
魂が輝きに耐えられるようになったら、
雲は消えて、神様のお声が聞こえるの。
大事な愛しい子どもたち、木陰から出ておいで、
小羊みたいに歓んで、私の金の天幕に集まりなさい。
お母さんはこう言ってぼくにキスしてくれたんだ。
だからぼくはイギリスの子どもにこう言うよ。
ぼくが黒い雲から、きみが白い雲から自由になって
大好きな小羊みたいに神様の天幕に集まったら、
御父のひざに喜んでよりかかれるようになるまで、
きみが熱に耐えられるようになるまで、日陰を作ってあげよう。
それからぼくは立ち上り、きみの銀色の髪をなでて
きみのようになる。そうしたらきみもぼくが気に入るさ。
エリックは「肌は黒いけど心は白い」黒人の少年と顔の醜い自分自身を重ねていたんでしょうね。同時に母親への思慕や陽の当たる場所で生きたいという渇望も感じられて切ない…うう。ところで「無垢と経験の歌」は「無垢の歌」と「経験の歌」という2つの詩集を後に一纏めにしたものらしい。「無垢の歌」はまだ苦難や恐れを知らぬ純粋で無邪気な状態を、「経験の歌」は様々な経験を積んだ後の状態を表したものだとか。「これを読めば僕の全てが分かる」の「これ」とは上に挙げた詩のことなんだろうけど、「無垢と経験」ってまるで彼を象徴する言葉にも見えますね。この世に人を陥れる悪意というものが存在する事を知らなかった純粋無垢な魂を持つエリック、過酷な運命の元に生まれ苦難や絶望にまみれ、人を殺める事も躊躇しない残虐性を持ったエリック。カルロッタを殺した時と同じ服装でクリスティーヌに会ったというエピソードを書きましたが、あの場面も彼の二面性を象徴してるなあと改めて思います。いつもは無駄に着替えるくせにwなぜそこで着替えない?普通気分を変えたくなる所なのに!と思ってしまう。色んなバージョンがあるから一概に言えないけど元々は黒一色の衣装で頻繁に着替えたりしない。煌びやかな宝塚の世界だからこそできる演出だと思います。赤い服というのも返り血が目立たないしよくできてるよね(これも元々は刺殺じゃなくて米舞台版の動画見ると感電死させてたらしい)。深読み苦手な私が柄にもなくああだこうだ言ってるけど、違ってたらごめんなさいw とにかくファントムという作品におけるウィリアム・ブレイクの位置付けは過去に先人が色んな考察をして下さってるので調べてみると面白いと思います。